名古屋市の伝統産業を持続的に発展させていくことを目的としたプロジェクト「Creation as DIALOGUE」。本事業に携わった名古屋市の塩谷さんと弊社代表取締役の澤田に、本事業における課題や具体的な取り組み内容、今後の展望などを伺いました。
――塩谷さん、本日は宜しくお願いいたします。まずは簡単な自己紹介をお願いします。
塩谷さん:2021年から経済局産業労働部労働企画室主査になり、市内の伝統産業の振興としてCreation as DIALOGUEに関わらせていただいています。このプロジェクトは、日本の方々だけではなく海外で活躍するデザイナーをはじめ様々な方ともお話しできるので、とても楽しいです。
「名古屋の伝統を絶やさない」伝統産業の海外進出の成功事例をつくる
――Creation as DIALOGUEとはどんなプロジェクトなのでしょうか?
塩谷さん:Creation as DIALOGUEは、ヨーロッパの第一線で活躍するディレクターの支援のもと、名古屋の伝統産業を担う事業者と、海外在住のデザイナーがタッグを組み、海外の新たな需要を開拓していくプロジェクトです。それぞれの事業者が持っている伝統的な技術を用いて、欧州の生活様式にあう新商品の開発を行います。名古屋市も事業者も、伝統産業市場の縮小とこれに伴う伝統工芸の承継について問題意識があり、生き残りをかけてこのプロジェクトをスタートさせました。
もちろん、これまで日本国内を中心に活動してきた事業者が、海外に挑戦するのは凄くハードルが高いことだと理解しています。しかし、国内市場が縮小傾向にある状況では背伸びをしてでも挑戦をして、新たな需要を獲得していく必要があります。意欲ある事業者を限りある予算の中で支援させていただき、その事業者が牽引役になって地域の産業全体を引っ張り、それに続いて海外進出に積極的に取り組む事業者さんが増えたら嬉しいです。
――ミテモに依頼する前にどんなことを課題に感じていましたか?
塩谷さん:伝統工芸品は、いずれも元々は日本人の生活に密接に関わるものだったのですが、生活様式の変化が加速し、それに伴って伝統工芸品の需要も減少してきました。またグローバル化が進み、海外からは安価な商品がどんどん輸入され、ネットでも簡単に海外商品が買えるようになりました。そこに追い討ちをかけるようにコロナが蔓延し、店舗販売や百貨店、祭りや催事会場での売上がさらに減少した状況でした。
伝統工芸品はひとつひとつ手作業で作っているため高価なものが多く、価格競争では勝ち目がありません。多くの事業者は環境の変化についていけず、もともと厳しかった経営状況は更に厳しくなりました。
「子供に事業を継がせるのは申し訳ない」
「後継者を雇っても責任が持てない」
「自分の代で終わらせようと思っている」
そんなことを口にする事業者もいらっしゃいます。私たちは「名古屋の伝統産業が途絶えてしまう」という危機感を抱き、Creation as DIALOGUEを通してこの業界をもう一度盛り上げたいと考えました。まずは海外進出に意欲的な事業者を巻き込んで先進事例を作り、伝統産業全体の再生を進めていきたいです。名古屋市の伝統産業は江戸時代から400年以上続いているものもありますが、その長い歴史において幾度となく時代の変化に適応してきたはずです。昔から生き残ってきた様々な日本の伝統文化は、ただ守られてきただけではなく、いろんな危機を乗り越えて今日まで残り続けてきました。その歴史と同じように、まさに今、名古屋市の伝統産業にも変化が求められています。伝統は伝統として良い部分は残しつつ、素晴らしい技術を現代の生活様式にあった商品に変えていく。それは簡単なことではありませんが、なんとか伝統産業を良い形で残していきたいです。
「手の文化の首都」名古屋で育まれた伝統工芸
――名古屋市の伝統産業にはどのような特徴があるのでしょうか?
塩谷さん:歴史的には名古屋城築城の際に全国からいろんな職人が集められ、絞り、染め物、漆塗り、七宝焼など様々な伝統工芸品が生み出されてきました。具体的には、名古屋は国の指定を受けた伝統的工芸品だけでも8品目あり、全国的に見てもとても伝統工芸が盛んな地域です。また、名古屋扇子や名古屋提灯など国からの指定はされてはいませんが、歴史あるものづくりが数多く受け継がれています。
澤田:名古屋は尾張徳川藩のお膝元であり、その庇護を受けてきたこともあり、一つ一つの伝統工芸品の歴史がとても長いことも特徴だと思います。その長い歴史の中で、名古屋の職人は昔から日本全国からの様々なオーダーに応え続けてきました。素材の調達という観点でみても、海と山に囲まれ、良質な素材を調達することが可能です。
多くの伝統工芸は、その土地の風土や生活に根ざして独自の発展を遂げていくことが多いですが、名古屋の伝統工芸は豊富な技術と良質な素材を強みに、日本全体の歴史とともに発展してきました。その過程で、時代のニーズに合わせて変化し、技術が育まれてきました。そのため、他の地域に比べても技術の引き出しが非常に多いのも特徴だと思います。
手の文化の価値への評価が高まる欧州市場への参画
――なぜヨーロッパをターゲットに選んだのでしょうか?
澤田:シンプルに、現時点で名古屋の伝統産業が海外進出をするのであれば、ヨーロッパが最善であると考えたからです。伝統工芸は手仕事であり、1つひとつの商品が高単価になります。そんな伝統工芸品を販売するには、富裕層の方々を対象にする必要があり、デフレで高いものが売れにくくなってきている日本よりも、海外に目を向けていく必要があります。
では「どこの国をマーケットとして捉えたらいいのか?」「富裕層はどこの国に多いのか?」と考えた時に、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの3つのエリアがあげられます。人口だけでみると1番多いのはアメリカ、2番目がヨーロッパ、3番目がアジアです。
アメリカは小売流通業の構造的に、大きなお店が多く、一度の取引量が多い傾向にあり沢山作って納品する必要があります。伝統工芸品の場合、大量生産には向いておらず、負担が大きいですし、作ったら作ったで大量に在庫を抱えることになります。将来的には魅力的な市場ではありますが、第一に進出する市場としてアメリカ市場はリスクが高いと判断しました。
それに対しヨーロッパは、一つ一つの都市の規模も小さく、個人経営のセレクトショップが多く、場合によっては1点2点といった小ロットでも取引ができます。つまり、アメリカよりもヨーロッパの方が、伝統工芸の事業者が無理なく進出できるマーケットなのです。また、地域固有の文化を評価する目利き力のあるお客様も多く、その点で考えても日本の伝統工芸の技術を活かした新商品がマッチするのではないかと考えました。
アジア圏も近年購買力が高まっており魅力的な市場ですが、現時点ではある程度知名度のあるブランドを求める傾向があり、世界的にまだまだ知名度がないこのプロジェクトのブランドを持っていっても、フィットしないことが予測されました。
このような背景で、アメリカ・ヨーロッパ・アジアという3つの選択肢がある中で、まずは「ヨーロッパでチャレンジしよう」という流れになりました。また、統括コーディネーターとしてこのプロジェクトに参画してくださっている村瀬さんが、すでにヨーロッパで活躍されているのも大きな理由です。
ヨーロッパでブランドとして認められるとアジアの人は買ってくれるでしょうし、生産力をつければアメリカでの商品展開も可能になります。そのため、まずはヨーロッパの市場へ進出し、それからアジアやアメリカへと展開していく予定です。
――海外での展開にどのような可能性を感じていますか?
塩谷さん:実際にパリでの展示会では、訪れた方から「どうやって作っているんだ?」「何を使っているんだ?」「何を塗っているんだ?」といった質問を多くいただき、商品の背景やその商品に使われている技術に凄く関心を寄せてくださっていました。ヨーロッパの方々は良いものはちゃんと良いものとして評価してくれます。実際、商談をして購入いただいた事例もあり、ヨーロッパは本当に可能性がある市場なんだと感じています。私と同じように、事業者さんも手応えを感じていたはずです。
澤田:ヨーロッパで新たな市場を開拓するためにも、今回はあえて「メイドインジャパン」「メイドイン名古屋」などの情報は表に出さないようにしています。まずはブランドとして訴えかけるものがあって、存在感があり、思わず手に取っていただけるような、素晴らしいものを作ることを優先しています。そうすることで、商品を手にした方々に名古屋の職人さん達の哲学やこだわりを伝えたいと考えています。
実際に誰もが知るようなブランドの関係者が、出来上がった商品たちを見て褒めてくれたこともあり、世界に通用するものを作れている実感があります。名古屋の伝統工芸には優れた技法や素材が沢山あり、このプロジェクトに参加された5社全てが素晴らしい商品を創り上げてくださいました。技術の引き出しが多いからこそ、高度なデザインと融合した時に、素晴らしい商品が生まれたのです。「素晴らしいけど買わない」と「素晴らしいから買う」には大きな差があります。まずは「買っていただける商品」を作れた点が凄くよかったと考えています。
世界に通用するブランドづくりに挑戦し続ける
――どうやってこのプロジェクトを成功させようとしていますか?
塩谷さん:参画していただいた事業者が、商品として評価して頂けるような商品を作るだけではなく、一過性で終わらせないのが本当の成功だと考えています。そのために、産地の皆さんを招いて今回の取り組みの報告会を開いて各事業者がどういう取り組みをしてきたのかを共有し、今回の体験が次につながるようにしていきます。また、どうやって他の事業者の後押しができるかを明確にしていきます。
このプロジェクトを通して、現地の販売のお手伝いをしていただいた方々、商品開発に関わっていただいた方々、参画した事業者同士など、いろんな輪が生まれました。このような繋がりの輪を継続して作り、名古屋の伝統産業事業者全体に広げていくことが次の挑戦につながると考えています。今後も引き続き事業者さんの声を聞きながら、我々ができることを模索していく予定です。
澤田:1年や2年の短期間の取り組みで、ブランドが完成することはほぼありません。また、事業者だけではヨーロッパのお客様のことがわからないので、付加価値の高いものを作り続けるのは難しいです。そのため、現地の生活様式を理解し、作り手の技法や技術もしっかり活かし、価格帯も理解して高度化できるデザイナーと事業者のコラボをし続けていくことが大切です。
全ての事業者ではありませんが、このプロジェクトでコラボレーションしたデザイナーと共に、今後も長期的に世界に通用するブランドを共創する契約を締結いただいた事業者もいらっしゃいますと。このように、ビジョンを共有しながら、世界に通用するブランドを生み出すために挑戦し続ける「自創するチームづくり」に取り組むことが重要だと思っています。
このプロジェクトは事業者とデザイナーが出会い、「まず一緒にやってみよう」というお見合い的な取り組みで、このプロジェクトを通して「このデザイナーと世界を目指していきたい」「この事業者であれば共に世界に通用するブランドを生み出せる」というパートナーシップが構築できたら嬉しく思います。
ミテモがあまり間に入りすぎず、事業者とデザイナーが対等な立場で、地域の一番星になるようなブランドを一緒に作っていけるよう働きかけています。
――プロジェクトの難しいと感じる点と、その解決方法を教えてください。
塩谷さん:海外進出に関する難しさでいうと、「今の難しさ」と「これからの難しさ」の両方がありますよね。
「今の難しさ」とは、商品開発をする上での課題です。「事業者とデザイナーのイメージ共有が難しい」など、事業者にとって海外進出は慣れない挑戦なので、商品開発が思い通りに進まないこともありました。そこが難しくもあり大事な部分だと考えているので、ミテモさんにもサポートいただきながら、プロジェクトがスムーズに進むよう支援しています。
「これからの難しさ」に関しては、「事業者が今後も海外進出を継続できるかどうかわからない」という課題があります。このプロジェクトの枠の中で挑戦して「海外に行けてよかったね」で終わりだと意味がありません。このプロジェクトの成功とは「事業者が自立し、海外進出を継続していくこと」です。それが今後の最大の課題になると考えています。
実際にパリに行った事業者の話を聞いていると、「海外市場に挑戦することの可能性と必要性を凄く感じられた」とポジティブな発言もありました。その一方で、どうしても海外進出にはそれなりの予算が必要であり、日本国内での事業との両立がものすごく難しいという声もあったのです。
海外進出は、渡航費、輸送費、言語対応など、様々なコストがかかる上に、一回の挑戦で簡単に成果が出るようなものでもありません。最低でも3年は取り組みを続けていかないと、なかなか成果につながらないという現実もあり、企業体力的に厳しい事業者もいます。
そのような課題に対し、限られた財源の中で補助制度などを作って事業者をサポートし、後継者を見つける手助けをしたり、海外進出をサポートしたりする必要があります。また市だけではなく、国や県の制度で適用できそうな補助があれば、事業者に積極的に提案していこうと考えています。
また、新しい取り組みをしている事業者をPRすることで、若い方に可能性を感じていただけるように働きかけをします。伝統工芸というと「高齢の方がやっている」というイメージがありますが、「新しい取り組みにもチャレンジしているんだ」という姿を見せることで、若い方々も巻き込めたら嬉しいです。それが後継者の獲得や育成につながり、最終的には伝統産業の自立した取り組みにつながると考えています。
澤田:あとは商品開発にあたって、事業者の方々が特に難しさを感じていたかと思います。初年度は、ほぼフルリモートでプロジェクトを運営したので、「ヨーロッパの富裕層」というお客様をイメージすることに苦戦していました。作り手の方々からすると、ヨーロッパの富裕層がどのような家にお住まいで、日々何を使っているのか、どんな暮らしをしているのか、どんなものを身につけているのか、という具体的なイメージが湧きづらかったんです。また、zoomだと試作品を見せた際に解像度が荒くなってしまうため、伝統工芸の技術や細かい質感などの魅力を、デザイナーに正しく理解してもらうのに時間がかかりました。
しかし、上手くコミュニケーションを取るために、みなさんいろいろ工夫していたなと感じます。模型やデッサンを作って、自分の考えを伝えていたデザイナーさんもいました。コミュニケーションの課題を解決するために、実際に試作品をヨーロッパに送ったら「これ凄く良いですね」とか「失敗作の方がむしろ良さそうですね」という、予想外のコミュニケーションが生まれたりして。このプロジェクトでは、オンラインとオフラインのハイブリッドでプロジェクトを進めることが大切だということを学びました。
プロジェクトを成功させるためにも、事業者はヨーロッパのお客様の生活様式を理解し、デザイナーは事業者の作業工程を理解し、というように、お互いがお互いを理解し合う過程は必須です。今後も日本とヨーロッパを行き来し、距離が離れていても最高のコラボレーションが実現するようにサポートしていきます。
挑戦を通して見えてきた名古屋の伝統産業の可能性と期待
――1期を終えてみて、どんな成果や手応えがありましたか?
塩谷さん:第一期の頃は、どんな商品が出来上がるのか、全然想像できていませんでした。でもプロジェクトが開始してからは、本当に素晴らしい商品が出来上がり、実際にパリの展示会でも現地の方々に評価していただけたんです。
事業者にとっても、「この市場にはこんな可能性があるんだ」と感じていただけたのがとても良かったです。実際にパリの店舗を一緒に回っていたときにも、「この商品がこの値段で売れるなら、うちでもやれる」と口にする事業者もいて、可能性を感じていました。
まだまだ課題は多いですが、第一期に参加した事業者の中にはすでにデザイナーと契約しているところもあり、海外進出継続の流れが見えて、名古屋市としても手応えを感じています。商品を持って実際にパリへ行ったことで、「次はどういうお店に商品を置こうか」という具体的なイメージをしていただけたので、次につながる取り組みだったなと感じています。
来年もパリへ出向くことになると思いますが、自分たちの今後の可能性を考えながら見て回っていただけると嬉しいです。
――本プロジェクトの次にどのようなことに取り組んでいきたいですか?
塩谷さん:伝統工芸の技術を活かした商品をヨーロッパの生活様式に浸透させることで、名古屋に興味を持っていただき、インバウンドの増加に繋げたいです。コロナの影響により、今は海外の方々が名古屋に来ていただく機会が減りました。開発した商品がきっかけになり、名古屋に興味を持つ人がヨーロッパに増え、観光に来てくれたら嬉しいです。
それに海外で評価されたブランドは、日本人からの評価も上がるんじゃないかと考えています。まずは海外で有名なブランドを作り、それをゆくゆくは日本に逆輸入し、日本国内でも伝統産業の市場を再開拓していきたいです。
――最後に、塩谷さんからひとことお願いします。
塩谷さん:今回の取り組みを通して、事業者にとっても今までの取り組みを続けるだけでは無く、「新しいことに挑戦して変わっていかなきゃ」という意識も生まれたんじゃないかと思っています。実際に事業者の方々からも、「今回のプロジェクトには参画できないけど、何かやっていかないといけないと感じた」という声もありました。
我々ができるのは、事業者に働きかけてきっかけをつくり、支援し続けることです。コロナが転換点になったことを機会と捉え、産業が変わる後押しができるように、今後も考えてサポートしていきたいと考えています。
インタビュイー
塩谷彰悟
名古屋市経済局産業労働部労働企画室 主査
2021年4月から現職に配属され、伝統産業の振興施策のほか、中小企業の多様で柔軟な働き方導入支援事業や労働福祉事業などを担当している。
澤田哲也
ミテモ株式会社 代表取締役
全国各地の地方自治体との連携による事業創出・商品開発・販路開拓・デザインイノベーションのための教育事業に取り組み、2019年には全国20地域でデザイン経営の担い手を育成する事業「ふるさとデザインアカデミー(経済産業省・中小企業庁主催)」の教育プログラム設計、講師及び事業者へのハンズオン支援を担当している。