VALUE〜品質では売れない時代にこそ”共創の輪“を広げる | ミテモ株式会社

VALUE〜品質では売れない時代にこそ”共創の輪“を広げる

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江戸時代から織物産業を担ってきた和歌山県の高野口(こうやぐち)に、1935年織り工場として創業した米阪パイル織物株式会社。新幹線N700系グリーン車のシートをはじめ、車輌用シート地(モケット)や毛布類の寝具を中心に開発・製造をしています。高野口のパイル織物は、手に触れて心地よく滑らかな柔らかさと丈夫さが魅力。パイル織物の国内生産トップ3に入る米阪パイル織物株式会社は、織物製造の独自技術で日本の織物産業を支えています。また新しい商品開発や販売、地元の生産者とタッグを組んで環境に配慮した取り組みも行っています。

今回、米阪パイル織物株式会社がなぜVALUEに参加したのか、またVALUEでどんな気付きを得ることができたのか、代表の米阪佳久さんにお話を伺いました。

コロナ禍、ウクライナ情勢、生産の海外移転と向き合う数年

――VALUEプロジェクトに応募したきっかけについて教えてください。

米阪さん:これまで和歌山県が主催する勉強会や講演会に参加してきて、自治体の助成金の活用などアドバイスなどをいただいてきました。VALUE プロジェクトを知ったきっかけは、以前からお世話になっている和歌山県企業振興課の方に「米阪さんは前向きな人やから、VALUEに参加すると色々と得られるものがあるはずですよ」と薦めてもらったことです。勉強会のような座学と違って、いろんな立場の方々と活発に議論して薦めていくVALUEプロジェクトは非常に新鮮だと感じたのが第一印象ですね。

――実際に VALUEプロジェクトに参加してみての印象はどうでしたか。

米阪さん:考えるより前に行動する私自身の性格もあってVALUEプロジェクトの全容を把握する前に「いっぺん行ってみて話を聞いてみよう」と動き出しました。オープンイベントでは中川氏(中川政七商店)の講演やパネリストの方々によるトークセッションがありました。その話を聞いて、ブランディングを始めとするデザイン経営というものは、大企業や一部の企業のみで実践されていることであって、我々のような中小企業にはピンと来なかったのが正直なところで、少し頭が混乱していました。
近年は外的環境が大きく変化し、厳しい状況です。国内における繊維関連の製造を営む企業数は減り、そこで働く従業員数も減っています。ものづくりの生産拠点が海外に移り、企画から生産、販売までを行うSPA企業が台頭するなかで、流通や小売などの環境も変化しました。またコロナ禍での働き手不足や人事面の調整、ウクライナ情勢による原材料の大幅な高騰があって、それでもどうにかして事業を継続するために利益を確保しなければならない。前向きな忙しさというよりは、朝から晩まであらゆることを考えて動いているのが実情です。

そんな状況もあって、デザイナーマッチング会や最初のワークショップを終えて、正直やっていけるのか不安でした。業種や立場、年齢の違いがあって、お互いのことがほとんどわからない状態で、私も自己紹介をするところからのスタートでしたから。参加された事業者さんは、私のような経営者の方だけではなく、事業の後継者やプロジェクトリーダーとそれぞれ立場も違っていたので打ち解けるのに時間がかかりましたね。またオンラインのチャットツールでコミュニケーションを行うことも慣れておらず、関係性を構築するのにもどかしさを感じました。しかし今までの自分たちのやり方では限界だとも感じていましたので、無我夢中で取り組みました。

――VALUEプロジェクトを進めるにあたり、社内の反応はどうでしたか。

米阪さん:やはり現場仕事が目の前にある中での社内の舵取りは、難しいですね。当社で扱っているものは、新幹線のシートのように品質基準があって管理項目が多くあります。製造に関わっているスタッフは、先ほどの環境変化の影響もありながら、現場で精一杯です。私がVALUEプロジェクトでいろんな勉強をしているから、こういうことをやっていくよ、と言っても、全員はついてきてくれません。そんな中でも、オンライン販売に携わっているスタッフと共にプレゼンやアイデアはまとめていきました。私ですら出張や営業、商品開発などの複数の業務を持っていますし、関わったスタッフも事務や生産管理の業務をしながらの関わりです。VALUEプロジェクトの専業スタッフという形ではありませんので、日々の業務がある中で進めていきました。

実践に踏み出してこそ、理論(フレームワーク)が活きてくる

――VALUEプロジェクトで得られたことや気付きはありましたか。

米阪さん:VALUEプロジェクトに参加して得られたことは2点あります。ひとつは「リアルな声」をたくさんいただけたこと。ワークショップでフレームワークを学んだときに、今の事業にどう落とし込むべきか、また社内でどう説明すればいいのか分からない自分がいて。これまでものづくりを実践で試行錯誤してきた分、フレームワークがなかなか腑に落ちませんでした。そんななか、事務局の方に「米阪さん、どんどん動けばいいですよ」と背中を押してもらいまして。事業者さんやデザイナーや支援者のみなさんに、我々が作っているマユケット(綿ブランケット)のモニターをお願いしました。

我々の事業の9割はOEM生産で、デザインなどの意匠性は先方からご依頼いただくことがほとんど。顧客に届けるための企画やマーケティングは先方で考えられており、まだまだ自社では弱い部分です。マユケットは、自社サイトで販売するために作ったもの。私が特許を取得している独自製法のマユケットを実際に使ってみてもらい、みなさんからフィードバックいただきました。そこで集められた「リアルな声」には、非常に多くの気付きがありました。
パッケージや商品説明の札などの細部に渡って、商品とお客さまのファーストコンタクトでどれだけのことを伝えられているのか。手にとっていただくまでに商品の魅力がしっかりと伝わっているのか。マユケットを必要としている人はどんな人なのか。買い求めたい時に、どこで買えるのか明確かどうか。そういった顧客視点での「リアルな声」をもらうことによって、フレームワークの理解度が深まりました。また製造現場スタッフの立場で考えると、フレームワークよりも「ダイレクトな実感」がモチベーションにつながります。自分たちが作ったものが、世の中のためになっていること。誰かが喜んでくれること。継続的に注文が入ること。チャレンジに対して億劫になる部分もありますが、そういった手応えが継続的にあることで、どんどん生産性も上がっていくし実感が湧いてきます。これもまた中小企業の特色かも知れませんね。

立場、年齢、業種。違いの壁を乗り越えた先にある“共創”

米阪さん:もうひとつは「新しい出会い」ですね。和歌山県内の企業も業種による縦割りの関係性や地域による経済圏の違いから横のつながりはそう多くありません。しかしVALUEプロジェクトを通じて、デザイナーや支援者さん、他の事業者さんとの出会いが生まれ「何か困ったら、この方に相談してみよう」「商売の方向性が同じだったら共同開発してみよう」といったように新しい可能性が拓かれました。
なかでもチームを共に組んだデザイナーの杵村さんは、繊維業界の方ではないのですが同じ和歌山県にお住まいでした。杵村さんのご自宅からは車で2時間以上かかるのですが、弊社の工場に足を運んでもらったり、今度は私が杵村さんのご自宅へ何度かお邪魔して打ち合わせをさせてもらったり。実際に顔を合わせて、お互いに深いところまで話をしましたね。東京への市場調査も一緒に行っていただき、本音を伝え合える信頼関係が築くことができました。

高野口の織物を共創する。これからも共創の輪はさらに広がっていく

――マユケットのリブランディング第一弾となる柿渋染めの経緯を教えてください。

米阪さん:我々は「共創」という言葉を大切にしてきました。自分ひとりでは、ものづくりはできませんし、お客さまにも商品を届けられないわけです。織物でいうと、機械の部品を作ってくれるメーカーさん、織りあがった生地に色付けや縫製を施す会社さん、出来上がった商品をお客さまに届けてくださる商社さんなど、挙げればキリがないほどですが、いろんな方々が存在しているからこそ我々の事業が成り立っています。今回は和歌山県の柿の生産者さんや京都の柿渋製造会社さんをご紹介いただいたことがきっかけで、柿渋染めのマユケットが誕生しました。
柿渋は消臭・抗菌性の効能が化学的にも証明されています。また高野山麓は日本一の柿の産地。そこで廃棄される柿を利用し、マユケットを染める柿渋の材料に有効活用しました。環境に配慮した取り組みは今後ますます求められます。特に大企業からのニーズも高く、実際に柿渋染めのマユケットを作ったことで、サスティナブルな活動を一同に集めた展示会(東京)への出展依頼や、JA(農業協同組合)さん関連の新聞に取り上げてもらったことから廃棄野菜などの有効利用のご相談など、各方面へ良い広がりを見せています。
マユケットの価値をどのように伝えていくのか、もしくは、どんなことに価値を感じてくれているのか。軽さや暖かさ、消臭や抗菌性、3シーズン使えること、綿と柿渋の天然素材への安心感、環境配慮であること、手触りや感覚。多種多様な価値観がある今、いろんな面で展開していく予感がしています。

――今後について、どのような見通しですか。

米阪さん:今回学んだことが一過性で終わらないようにしたいです。やりっぱなしではなく、今もモニターでの検証や、事業計画を立てて商品開発やPRにも力を入れていこうとプロジェクトを進めています。目標を可視化して、打ち手の効果検証や戦略を持って進めていくことは今年の課題でもあります。中小企業なので、できること・できないことは当然ありますが、「できることはすぐにトライする、やってみてダメだったら撤廃する」と、この繰り返しを重ねて、積極的に取り組んでいきたいです。顧客の声を聴き、出会った人を頼り、周りの方々から良い刺激をもらいながら、貪欲に展開していきたいと思っています。

インタビュイー

米阪 佳久

米阪パイル織物株式会社 代表取締役

1962年生まれ、和歌山県出身。大学卒業後、京都の繊維会社で5年勤務の後家業のパイル織物会社に平成2年入社。入社時は自動車向けシート地の最盛期であったが 社長であった父、営業担当の叔父が相次いで逝去し後を受け平成17年に社長就任。その後自動車用シート地の激変に伴い寝具用途や電車用シート地の生産に切り替えていった。寝具用途でのさまざまな特許取得が認められ 和歌山県発明賞受賞。

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